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  • nantokaff

第3回SAITAMAなんとか映画祭レポート<3> 円楽師匠との思い出語る

埼玉での公演は久々

 開催2日目の3/4(土)午後、M’s SQUAREにおいて岩槻区出身で落語家の三遊亭楽生氏による落語会と、師匠で昨年9/30に72歳で亡くなった6代目三遊亭圓楽氏を偲ぶトークショーが行われた。

 開催冒頭、「久々の埼玉での公演に感激した」と楽生氏。ちょうど翌日の3/5には東京マラソンも迫っていたが、出場した経験も。42.195kmのフルマラソンを走ると、達成感も大きいという。

 落語会では2演目を公演。映画館で落語した経験はあるものの、映画祭での落語は初。ところどころ会場となった武蔵野銀行に因んだ洒落もあり、多くの観客を集めた会場からは笑いが起きた。


「なんでもできて、器用」

 落語会の後は師匠である圓楽氏を偲ぶトークショーに登壇。

 自身も中学生頃から「笑点」で圓楽氏に親しんでおり、「なんでもできて、器用なところに惹かれた」とその魅力を語った。青山学院大学の出身で知的な感じも惹かれるポイントだったという。

 その後は圓楽氏のもとに入門し同じ落語家の道を歩むが、「あまりミスをしない人だった」と振り返る。高座後の移動時には早く準備をする人で、楽屋での準備に勤んだのも良い思い出。「見えてるところだけで満足するな」と、楽屋でもゴミをまとめて座布団はしっかり置いて帰るよう教えられていた。こうした教えは今も楽生氏にとって大きな指針になっている。

 圓楽氏からあまり褒めてもらったことはないというが、一緒に過ごして思い出も多い。圓楽氏は晴れた日に家中の布団を干すことを日課としていたが、弟子で圓楽氏宅に住み込んでいた楽生氏もある晴れた夏の日、客間の布団を皆干して外出した。しかし直後に台風が襲来し、せっかく干した布団もずぶ濡れ。電話越しに圓楽氏から大目玉を喰らったと笑いを交えて思い出を語った。

圓楽氏との最後の会話

 圓楽氏が「ジャックナイフのような」40代に弟子になったが、60代に入った頃から病気がちに。68歳の頃に肺がんを公表し長く闘病していたが、今年1月には脳梗塞で入院するなど、晩年は体の不調に悩まされていた。「脳梗塞にならなければ癌の治療に専念できたので、もっと長生きできたはず」と楽生氏も惜しむ。

 その後は自宅療養を経て夏頃からは高座復帰を果たすが、車椅子に乗っての移動を余儀なくされていた。楽生氏が圓楽氏に最後に会ったのは昨年の8/15。「うなぎ食うか?」が最後の会話だったという。

 8/26には軽度の肺炎から入院するが、病状が悪化し9/30に肺がんで亡くなった。

 師匠となる圓楽氏の死について、「まだ実感が湧かない」と楽生氏。体調不良の中でも月に1回程度は会っていて正月には今まで顔を合わせていたが、圓楽氏のいない正月を初めて迎えて圓楽氏を思い出さずにはいられなかった。

 形見分けで譲り受けた肌襦袢を着物の下に纏って登壇した楽生氏は、圓楽氏追悼の落語会開催も検討している。

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